させる力 あれはあれ

今日は寒かったですね。
冬が戻ってきたようなお天気ですが、

いよいよ近づいてきて

事務所や車の準備などに追われ、
みんなで休む暇もないくらいがんばっています。

夜遅くまで一生懸命お手伝いくださっている皆さん、本当にありがとうございます。

わたしはちょっと休憩時間にブログを書いていてごめん。



そういえばこの前、

「佐藤さんのチラシに 「させる力」から「する力」へ というフレーズがありましたが、
あれはあれですか

と質問をいただきましたが、「あれはあれ」です。



そこにはいぜん、「反権力」などと書いてあったのですが、

なんかおかしいので変えておきました。

もっとも、「いくらなんでも佐藤さんが反権力はないでしょういいかげんにしてよ」と関係諸方面からいろいろ言われたわけではなく、

まあちょっと考えて。


権力(パワー)ということばは、いろいろな使われ方をしますが、

それは一概に悪とは限らないのです。

抵抗や反抗ということを含め、

人が何かをするときに、そのもととなるのがパワーなのであり、

外のどこかに「権力」みたいなものがあって、それが悪さをしているわけではないのですから。


「今の政治は権力者のほうを向いている」ということばはよく聞きますが(言うのは楽

そういう物言いは、初心者が陥りがちな誤りで(まあ、耳に快いし)、

自分自身がその「権力」にどのようにかかわり合ってきたかということについて、

明らかに意識が欠けている(それとも知らぬふりか)。


まあ「反権力」(死語)なんていうと、なんかすごそうですが、

「反権力」というのは、木のぼりをする人が、足下の枝をノコギリで切るようなもの


「権力」は身近なところにあって、どこか別の誰かのところにあるわけではありません。

「権力」は自分のなかにもあるし、「よい権力」の代表者と「わるい権力」の代表者があるわけでもないのですから。


じつは、「する力」と「させる力」というのは(みんな知っているかもしれませんが)、

ジョン・ホロウェイという人の、去年くらいに流行した本に出てくる

フレーズです。

ホロウェイは、�@物を作り出したり、新しいことを考えたりするときに

人の内側から発してくるような、人がもともと備えている力と、

�A強制力や権力(狭義)のような、人を苦しめる力の違い、

そのふたつの力の間ではたらく複雑な力学について、

「する力」と「させる力」という、うまい言葉を使って説明をしています。


わたしは流行に弱いわけではないのですが(実は流行に弱い)、

いい言葉だなあ、と思い

今回ちょっと借りました

でも、それほど悪くないでしょう。


現代ほど「させる力」が幅を効かせている時代はないですからね