羊太夫の子孫(さらに続き)

毎回文体がかわりますが、
太夫の子孫の話の続きです。

「羊太夫」の正体ということで三回目。
 

「羊太夫」というのはへんな名前です。「羊」+「太夫」ですよ。
別の地域には、「白太夫」「百太夫」「花太夫」などがいるので、そういうことに関心のある人には不思議でないかもしれませんが、ちょっと聞くと奇異な感じでしょう。

「羊」のほうは、「多胡碑」に「羊」の文字がなぜか刻まれているので、なんとか解釈できるのですが、
太夫」のほうは説明がつきません。

ただ、普通の民俗研究者なら「白太夫」「百太夫」「花太夫」などから類推して、「羊」を祀った何らかの宗教者(太夫)の存在を仮定するでしょう。そして彼らを「羊太夫伝説」の語り手と想定するでしょう。

「羊」の神話を語る「太夫」が「羊太夫」である。彼らが神の物語を一人称で語ったことから、「羊太夫」と語り手とが同一視された、というふうに。

こういうことを書けば、やはり�Bが「羊太夫」なのかなと、多くの人は考えます。
この答えは分かりやすいし、真実をついているようですが、現実はもっと複雑です。

私が知る限り、�Bが自分を「羊太夫」とは認めた例は、歴史上なかったように思います。
「羊太夫」と�Bを同一視したのは、�B自身だったのか、そうではなくて誰か他の人だったのか。
こういうことを突き詰めて考えると、とても難しいのですね。

�Bは、なんのために「羊太夫」である必要があったのか、
その人生にどんな意味が。。。
ぼくはぼくではない。

考え始めるときりがありません。

自分の事がそれほどはっきり分かる人があるだろうか。
そう思いつつ、楽観視を。