生きる方法(今年の成果)
今年は論文をぼつぼつ書きましたが
今年中にでなかったものもあります。
そのひとつ。
修験道関係のあたらしい論文を書きました。
媒体などは内緒ですが、わりと一生懸命書いたものです。
(近世の修験道)
近世以降の修験道は、どう考えても「死なずに世間に背く」手段ではなく、
むしろ「生きる方法」の民俗学みたいになっております。
「生きる方法」とは、言葉だけ聞くと、なまぬるいような気もしますが、
矛盾が多い人生は「背く」以上に苦しいことであります。
そんな気分で論文に書いてみました。
(もっとも、そういうことを直接書いたわけではありません)
もう一つ出る予定の論文は、もう若い頃、やや悩み多き時代に考えたもの。
本物になろうとする偽者が登場し、
最後に大きなカタストロフがあります。
小説にしようとしまっておいたのを、論文に直しました。
(偽文書)
今回大きく内容を変えましたが、
今読み返してみると当時の心の動きが分かり、書き手として恥ずかしい感じです。
(そして少し甘い)
でも書いたものは仕方ない。
(詳しいお話はまた別の機会に)
乞うご期待。
両方とも、来年出るようです。
今年中にでなかったものもあります。
そのひとつ。
修験道関係のあたらしい論文を書きました。
媒体などは内緒ですが、わりと一生懸命書いたものです。
(近世の修験道)
近世以降の修験道は、どう考えても「死なずに世間に背く」手段ではなく、
むしろ「生きる方法」の民俗学みたいになっております。
「生きる方法」とは、言葉だけ聞くと、なまぬるいような気もしますが、
矛盾が多い人生は「背く」以上に苦しいことであります。
そんな気分で論文に書いてみました。
(もっとも、そういうことを直接書いたわけではありません)
もう一つ出る予定の論文は、もう若い頃、やや悩み多き時代に考えたもの。
本物になろうとする偽者が登場し、
最後に大きなカタストロフがあります。
小説にしようとしまっておいたのを、論文に直しました。
(偽文書)
今回大きく内容を変えましたが、
今読み返してみると当時の心の動きが分かり、書き手として恥ずかしい感じです。
(そして少し甘い)
でも書いたものは仕方ない。
(詳しいお話はまた別の機会に)
乞うご期待。
両方とも、来年出るようです。