群馬の歴史文化遺産を巡るモデルツアー

 ひつじ大学は県の担当者の皆様といっしょに、群馬の文化振興、観光開発をめざしてがんばっています。そして、今月、来月は「歴史文化遺産をめぐる」モデルツアーを行なうことになりました。「上野神話(こうづけしんわ)」の伝説の地をめぐり、ガイドは私が務め、ちょっとした聖地巡礼になるでしょう。

 すべてのコースにストーリーがあり、それぞれの内容が互いに関連しています。入り組んだ神話伝説の世界を、各コースで多様な視点から体験できるようにしました。

 コース1
 上野三碑貫前神社をめぐるコースです。

 現在、上野三碑は「世界の記憶」の国内候補となっており、ユネスコの良き判断が待たれますが、このコースは記憶遺産登録の推進を念頭にいれてつくりました。とくに、貫前神社をいれさせていただきましたのは、伴信友の『上野国三碑考』の成立にちなんでいます。『上野国三碑考』は、近世の国学者によるすぐれた研究の書物で、「三碑」という呼称を全国に広めることにも大きく寄与しました。珍しい史料や伝承にも言及しており、そこに付せられた緻密な考証は後世の研究に大きな影響をあたえました。しかし、もとは貫前神社宮司(一宮小幡氏)の出自について調査を依頼されたのが執筆のきっかけであり、三碑とともに、貫前神社の由来や、宮司の先祖と比定された磯部氏(物部氏)の歴史について細かな考察がなされています。


コース2
 群馬八郎の伝説にちなむコースです。

 群馬八郎は、若くして上野国の指導者となった優れた若者でした。しかし、それを妬んだ七人の兄たちにより謀殺されてしまいます。その亡骸は国府の岩屋(今の蛇穴山古墳)に捨てられましたが、八郎は神々の力を借りて蘇り、大蛇となって復讐します。ところがその後も総社周辺に居座り、毎年生贄を取って人々を苦しめました。20年後、小幡(尾幡)海津姫が犠牲になろうとするとき、姫への愛から生贄の身代わりを申し出た若者が...

というようなお話で、総社の古墳群や、県南の河川流域の風景など、上野国の自然的、文化的景観が生きた伝説です。このコースは物語の内容を八郎の側からなぞるもので、参加者がお話を追体験できるルートにしました。

国府の岩屋などを見学したあと、八郎信仰に関わりの深い利根川、烏川周辺の史跡を訪ね、最後に、伊勢崎市福島の八郎神社を訪れます。そこでは地元の方が地域の活性化にとりくんでおり、新しくつくってくれた「八郎伝説の八木節」が上演がされます。

コース3
 羊太夫伝説にちなんだコースです。

 伝説の世界では、上野三碑のうち、多胡碑は小幡羊太夫を祀ったものとされます。羊太夫は『神道集』の赤城姫の物語にでてくる人物のひとりですが、江戸時代も後期になると、地元でも「渡来人説」が浮上します。多胡郡の鎮守として知られる「辛科神社」の祭神と同一視する言説などがあらわれ、神話の世界が整理されていきました。八郎の伝説では、大蛇から上野国を救った英雄があらたな「人民の父」となり、「辛科神社」に祀られたと説いていますが、そのお話が羊太夫の伝説と混淆するなどして、「新羅人太夫」を英雄視するお話が地域に根付いていったのです。
このコースでは、多胡碑、辛科神社、小幡氏の先祖を祀ったとされる白倉神社、羊太夫の妻の墓とされる七輿山古墳など、多胡碑と羊太夫にまつわるいくつもの場所を訪ねます。


コース4
 悲劇の物語として有名な赤城姫伝説にちなんだコースです。

 現在、群馬県立歴史民俗博物館(歴博)では、常設展示に赤城信仰のコーナーがもうけられており、見学すれば赤城姫伝説の概要や、山麓の開発にともなう信仰の広がりが、ひとめで確認できるようになっています。本ルートは、歴博と連携しており、まずその展示について解説していただいた後、バスにのって赤城姫伝説の遺跡をじっさいに訪ねます。赤城姫の生まれた場所とされる深津で「赤城塔」(赤城信仰の特徴的な石造物)を見学し、その後、赤城姫が山中で遭難して苦しみを舐めた藤井谷(今の滝沢不動周辺)、赤城姫が招かれて龍神となった赤城沼、赤城姫たちを偲んで兄の国司が夜をすごしたされる三夜沢、などを訪ねます。

物語の内容上、徒歩で移動する場所もあります。お気をつけください。

 締め切りが近いですが、私どもの試みに「お客様」としてご協力をお願いいたします。モニターツアーですので参加費は無料です。よろしくお願いいたします。