救世主

このところ取材と調査でいろいろな家をお邪魔していて
時に政治の話になることもある。

「日本には救世主はあらわれないのか」
明治維新の若者のような人はいないのか」

このような問いかけを最近しばしば耳にする。
特に高齢者にそうした意見が多い。

昨日もそんな話題が出たが、

それでなんとなく思い出して、今日は久しぶりに、生田万の書『岩にむす苔』を開いてみた。
「若輩の国秀、殊に過分なる御政務の筋を〜」で始まる有名な藩政改革の意見書で、
万がまだ26才の頃に館林藩に提出したものである。

ところが、この意見書の内容は藩の上層部の逆鱗にふれ、
生田万は追放の憂き目にあい、その後、ほぼ10年間牢人生活を送ることになる。

そして、亡くなったのが37歳。今のぼくと同じ年だ。

天保8年6月1日。柏崎。

これは明治維新(1868)から30年くらい前の出来事だから、
明治まで生きていたとしたら、67才くらい。
現在だと、孫もできて、そろそろ大学を退職しようと思う齢になるだろうか。

もちろん、生田万のあのような行動が直接明治維新に繋がったとは思えないが、
それにしても、幕末から明治にかけての動乱は、無辜の生命を薪のように消費したものである。

もし万がそのあとずっと生きていたら、どんな研究をして、どんな書物を残したのだろうか。とふと思った。

今の論文ができたら、ちゃんと調べて、生田万について何か書いてみようと考えている。