七難八苦

今日は山中鹿介が毛利に討たれた日だ。山陰のほうではきっと追悼の行事が催されているだろう。

少し前の話だが、ご縁があって何ヶ月間かTVの某戦国バラエティ番組の監修をした。何人かで分担したが、山中鹿介の回はぼくの担当だったので、放送時には名前がテロップに出るかもしれない。

仕事のことについては、ぼくはかなり心配性なほうだ。気になって調べるからかなり時間がかかってしまう。毎回相当な量の史料を読んだが、半ば虚構のヒーローである鹿介の場合は、江戸の随筆や講談本など楽しい関連資料ばかりで、つい読みふけってしまう。ぼくは東国の地方軍記などは趣味で沢山見ているが、どうも西のほうには弱い。でも今回の仕事では『雲陽軍実記』『吉田物語』のような山陰・中国地方の軍記にまとめて目を通すことができ、新しい世界に触れて楽しかった。

ところで、鹿介関係の書物で面白いのは、時代ごとの評価の移り変わりだ。七難八苦の英雄・鹿介は、戦前〜戦後期には尼子家の忠臣として顕彰されたり、逆に嫌われたりしたが、近年ではそれと異なる新たな 鹿介像が人々の心をとらえている。「どんな苦境の時にも自分を信じ、勇気を持って未来を切り開きたい」「自分を試すため、困難な人生を望む」苦難への挑戦そのものに生命の充溢を感じる、どこか実存主義的な鹿介像である。

現代人の人生観を反映しているのだろう。集団の利益より人としての尊厳を重視する生き方である。

考えてみると、赤痢の真似をして厠から脱出する、海賊・山賊を集めてゲリラ戦をするなど、決してめげないこの人の人生には、なりふり構わず手段を選ばない過激さがある。主君の勝久たちが切腹するなか、たった一人生き残るという最後の謎の行動も「忠臣」の枠に収まらない型破りで奔放なキャラクターを示しているようだ。

この鹿介の毛利への降伏については、これまで何人かの研究者がその背景を考察している。ただし史料が少ないぶん作家的想像力の働く余地が大きくて、説得力についてはみないま一つだ。時代ごとに解釈がずいぶん変わっている。

時代考証は、当時の民俗や思想から推してゆくのが正統なやり方だが、相当に遠回りでもどかしい。TVは面白主義だからあまり細かいところまでチェックしないけれど、戦国時代の、それもかなり変わった人の人生感覚を、現代の人に分かりやすく説明するのはかなり難しいと思う。