是を以て死すとも足る

同じ歳の郷土の学者がどんな人だったのか気になりだし、

図書館にでかけて、生田万についてぼつぼつ調べてみた。

「余既に師友の譴を被る。故に門戸を閉ざして以て大中経を読み、また時々、詩を賦し文を属して従容、自ら楽しみ自ら遣る。是を以て死すとも足る。豈、師友の為す所に効って利を謝し、禄を求めんや」(大中道人謾稿序)

なかなか言う人である。

文中にでてくる『大中経』というのは、万の先祖が書いたという教典で、現存しないという。

名利を求める学者仲間に嫌気がさし、引きこもって読書に耽溺する万。
文人らしい隠遁生活のようでもあるが、
先祖の本というあたりで、群馬のもう一人の不遇の学者、長野釆女のことを思い出してしまう。
(このブログにも以前登場)

生田万といえば館林だが、釆女の弟子の潮音も館林に住んでいたから、面白い土地の縁だ。
生田万は『大中経』、長野釆女&潮音のほうは『大成経』で、名前まで似ている。

やはり「是を以て死すとも足る」という心境に達するのは難しいものだ。
二人が足りていたら「大成経事件」も「生田万の乱」も起きなかったのだから。