知己との別れ

雨だ。

先日迄の猛暑から一転して、今日は肌寒い一日となった。

そんななか、論文を出しにあわてて外にでかけて、帰りに急な雨にあい、近くにある大樹の木陰に避難する。
雨宿りをする先客の老人がいて、ひとことふたこと言葉を交わすが、なかなか雨はやまない。

そのうちますます烈しくなり、すっかり降り込められてしまった。
それを尻目に、二人の会話はしだいに近所の噂から研究のことに及び、だんだん興がのってきた。
なかなか学識がある人で、民俗学の研究をしていると話すと、
忘れられた江戸人の面白い逸話や、当時の学者たちの奇妙な癖などを教えてくれた。

そんなことまで知っているとは、かなりの高齢の人なのだろう。

雨宿りの樹木も老人が若い頃自分で植えたものだそうで、
それが長い間に育ってこんな巨木になったのだという。

そういえば、なんとなく懐かしい感じがする樹だ。
わが家の庭に生えている榎によく似ている。

わが家のものは、伊勢崎の藩政時代からそこにあったもので、
神木だといって家族がとても大事にしている。
先祖が藩主から藩校の建物を買ったとき、樹もまた佐藤家のものになったそうだが、
たしかに明治時代初期の写真帖にもそれらしい巨木が写っているから、それよりずいぶん古いのだろう。
「藩校時代は勉強に疲れた藩士の憩いの場になったところで、高山彦九郎のような人も木陰で物思いにふけったのだよ」
死んだ祖母がそんな話をしていた。

そのようなことを老人に語ってすっかり会話もはずみ、いつしか雨もやんだ。
こうして意気投合したので、今まとめている歴史の本のことなど、時々相談に乗ってもらえることになった。
「木陰で会ったから、勉強会の名前は「木陰会」か「緑陰会」にしよう」
などと少し相談し、再会を約して別れた。

思ってもいないところに博識な人がいるものだ、そう思いながら家路を急ぐうち、ふと意識が遠くなった。

気がつくと、部屋のベッドのうえで、古い本を持ったまま寝ていた。
夢をみたのだろう。

今思えば、夢に出たのは間違いなく庭の榎の樹だ。
植えた人の名を聞く機会はこれまでなかったが、
夢でその人と話したのだろうか。

目覚めたあとは寂しい気持ちが長く残り、知己を亡くしたときのような深い孤独を感じた。
霊との交感というのは、もしかするとこういうものかと少し思う。