更級草紙

栗杖亭鬼卵著『勇婦全伝 絵本更級草紙』(文化7年 序文)を読んだ。

「昨日別の本を読み終わったところなのに、
ずいぶん早く読めるね、他の書類も沢山あったのにどうしたの?」

「早く読む訓練をしているから、ちょっとした草紙ものなら一時間くらいで読めるんだよ」


というのは嘘で、昨日読んだ『尼子十勇士伝』(春陽堂)という本こそ、実は『勇婦全伝 絵本更級草紙』だったのである。

明治の『尼子十勇士伝』(春陽堂)は江戸時代の『勇婦全伝 絵本更級草紙』とそっくり同じ内容。
ただタイトルと挿絵が違うだけだ。

『尼子十勇士伝』なのに全然十勇士が出てこないからおかしいとおもったが、『絵本更級草紙』の序文によると、この本は有名な山中鹿之介の父母の話を世間に知らせるために書かれたそうだ(この序文は本を売るタテマエという説もある)。

その本に『尼子十勇士伝』というタイトルを付けたうえ、作者の名前を伏せて出版する明治の出版社は、なんという商魂たくましさだろう。
この時期にあちこちの出版社から同内容の本が出ていて、どうもおかしいと思った。
これは絶対だまされて買った人がいるだろう。

さて、『勇婦全伝 絵本更級草紙』は近世の読本としては有名な作品なので、いくつか研究論文もあるようだ。
それらにもざっと目を通してみたが、本来は尼子勝久のかわりに武田勝頼の息子が出る予定だった(そういう予告が巻末にでている)とか、森之助にモデルがいるとか、本来の主人公は更級姫だとか、
出版の経緯に面白い話がたくさんあるみたいで、また興味がでてきた。

そうなると、信州の鹿之助伝説は文化年間以降に定着したのだろうか。
明治だと思っていたが、もうすこし前まで遡れる?
それにしも、『絵本更級草紙』のあちこちに、いかにも信遠地方の伝説に取材したようなことが書いてあるが、どうも眉唾な感じだ。ただ、作者は遠州の人だから、万一ということがあるかもしれない。

これらを現地の地誌などを使ってでひとつひとつしらみつぶしに調べたら、面白い研究ができそうだ。

更級姫のせいで蕎が食べたくなってきたから今日はこのへんで。