なつかしい軽井沢での講演会

軽井沢に講演会に出かけ、懐かしい町のみんなと再会できた。

佐藤家のルーツについての講演会で、中世の古文書を紹介して戦国時代の歴史を話す一部と、佐藤佐(左)太夫の伝説について語る第二部に分けた。

佐藤家は武士と商人のふたつの顔を持ち、時の権力と結びつくなど、巧みに生き抜いたものが一族の長となってきたこと。また、周辺地域に住むひとびとを取り込み、ファミリーの拡大を図って来たこと、などを話した。

また、そういうサバイヴの世界とは別の次元に、陽気な悪戯もの「佐藤佐太夫」の伝説世界があること。その人は山に住み、自由で、権力者を翻弄し、常にふざけている、という話もした。



参考
「左太夫は十人力の勇士であった。百万石の加賀の殿様のお通りが、たまたまあった時に、そのかごかきを命ぜられた。坂本から碓氷峠を越えるのであった。二人で殿様のかごをかついでは、のっている殿様はたいへんだろうと考えた左太夫は、大きな石をかごの反対側につけ、振り分けにしてかつぎ、山道を休まず、とうとう峠までかつぎあげてしまった。ただでさえ難儀な山道を、このように楽々と上がった左太夫に、家来達は、すっかりドギモを抜かれてしまった。家来に「左太夫、休め」といわれて、杖を体のかわりに立てて息をいれた。殿様は、「休み」と聞いて、かごの扉をあけたところが、びっくり。かごの下は、何十丈という谷底。殿様は、命の縮む思いをしたという。この ことがあってから後、殿様は、江戸から加賀へ帰る途中、坂本に来ると、「左太夫はいるか。」と家来に尋ね、いないとわかると安心したということである」『群馬県民俗調査報告書第九集 松井田町の民俗―坂本、入山地区―』183頁

こういうのが沢山ある。

子どものころから大好きな、旧軽のレストランでごはんを食べてかえってきた。