西上州・東上州の誕生

2月2日、群馬学研究センターのシンポジウムに出席します。「西上州・東上州の誕生」というタイトルで『神道集』の説話がその後の上野国歴史認識、空間認識にどんな影響を与えたかお話します。


登壇者は歴史学、文学、民俗学とみな専門分野が異なり、それぞれの視点の違いが面白いのではないかと思います。
神道集』関係のシンポジウムは近年ない企画です。ぜひご参加いただけたらと思います。



寺社縁起調査の進捗状況

寺社縁起調査の進捗状況を新聞に取り上げていただきました。戸榛名神社の縁起は一昨年発見したときは本物だとおもいましたが、よく調べると疑問点が多く色々なことがわかってきました。同時期の文書などをさらに調べてみたらもっと詳しいことが明らかになると思います。
ただこの縁起は、たとえ貞享年間前後のものとしても、現存する同系統の縁起のなかでは最も古いものです。作成の背景も明らかであり、歴史的に重要な史料であることに違いはありません。



https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/culture/103314

本年度のひつじ大学の講座内容です。


今年度の「ひつじ大学地域文化講演会」は5月から来年2月までの
全9回の開催を予定しております。
                    

5月19日(土)
堀越一郎さんを偲ぶ会

故堀越一郎ひつじ大学運営委員長の多年にわたるご尽力に感謝し、ご供養のため「堀越一郎さんを偲ぶ会」を開催します。
また「丸文」堀越家のルーツを辿る講演会を実施し、同家による多胡碑園建設などの文化財保護の取り組みをはじめ、地方名望家としての地域社会への貢献の歴史についてお話いたします。

講師  久保信太郎(郷土史家) 中島義明 (吉井郷土資料館学芸員
「丸文」堀越文右衛門家の家歴と地域貢献」

佐藤喜久一郎「堀越一郎さんを偲んで」


6月16日(土)
講師 松田 猛 (上野三碑世界記憶遺産登録推進協議会調査研究部会員)
弘仁9年(818)の大地震と多胡郡」

1200年前に起きた弘仁9年の大地震について、その被害状況を「類聚国史」の記述や発掘調査記録など、多様な資料を用いて考察します。   

<7月は会場の都合で休講いたします>

8月18日(土)
講師 熊倉 浩靖 (NPOぐんま理事、前県立女子大学教授)
 「「羊」動物説」
熊倉先生は多胡碑の「羊」を動物と解釈する独自の「「羊」動物説」を唱えています。その説の根拠を熊倉先生ご自身からご説明いただきます。
          

9月15日(土)
講師 神保 脩史 (辛科神社宮司
「「神道集」に見える上野国の神々」
           
神道集』(14世紀)は先祖が残した上野国の貴重な文化遺産です。この書物に登場する土着の神々の神話について、宮司の神保先生が解説してくださいます。

10月20日(土) 
講師  大工原 豊 (国学院大学兼任講師)
西毛地域の旧石器〜弥生時代の特徴」


11月17日(土)
講師  簗瀬 大輔   (群馬県立女子大准教授)
上野国地侍」     
             

12月15日(土)
講師  佐藤喜久一郎  (ひつじ大学理事長)
「テーマ」 「ひつじ大学研究報告」

本年度のひつじ大学の活動内容を報告し、新資料の紹介や新たな研究成果を公開します。
            

H31年1月19日(土)
講師 久保 康顕 (日本山岳修験学会評議員
「上野の山伏(2)」

 
2月16日(土)
講師  阿部 能久 (鎌倉国宝館学芸員
「東国中世の政治秩序」 
       

*本会年間講座予定は講師の都合等で止む無く内容が変更されること
がありますことをご承知ください。その場合は講座開講日前日の「上毛新聞、ぱれっと欄」か「インターネット、ひつじ大学ホームページ」で直近情報の掲載をご覧ください。

*事務局、連絡先 松本孝義 TEL,FAX 027−388−4672
*会場 高崎市「吉井文化会館」小ホールTEL 027−387−3211
*時間 PM1:30受付、2:00開講、4:15閉講(予定)

近代日本の誇り

【近代日本の誇り】
ひつじ大学の副理事長である堀越一郎さんが亡くなった。
堀越さんは、ひつじ大学(NPO)の設立当初から、リーダーとして組織を支えて下さった方だ。
大学の大先輩でもあり、NPO活動や仕事の枠を超えたところで、個人的にも大事なことをたくさん教えていただいた(遊びのことも)。親代わりといってもいい。とくにポスドク時代や永田町を離れて後の浪人時代、私のことを心配して親身に面倒をみてくれたのはありがたかった。
若い研究者と話すのが大好きだ、君たちが好きだといって、よく一緒に映画をみたり、お酒を飲んだりした。調査旅行に行ったこともある。旧家の方らしく遊びかたにも品があった。
堀越さんのことを地元の方たちは「丸文さん」といっていたが、それは群馬県の第1期の県会議員、堀越文右衛門の子孫にあたるからだ。丸文株式会社というのが今もあるけれども、そこは親類で、堀越一郎さんが跡つぎであった。
明治12年ころ、県令楫取素彦が当選祝いで堀越家を訪ねた懐かしい写真が『写真で見る吉井町の百年』の表紙を飾っている(写真)。
多胡碑境内地を近代公園へと生まれ変わらせたのも、この楫取県令と堀越県議であった。そのことは本にも書いたので繰り返さないが、明治11年ころ、彼らは多胡碑のグローバルな価値に目をつけ、公園をつくることで、新生日本にふさわしい文化的景観を群馬にも創出しようとした。多胡碑の神社を解体して文化財から宗教色を除き、花を植えたり木を植えたり、新しい石碑を立てたり...そのために堀越文右衛門は多大な労力と資本を費したのである。
しかしこのとき、多胡碑を神として祀ってきた宗教者の白倉家は、ついにその伝統的な職務を解かれることになった。文右衛門が売得して、その居住地も公園に組み込まれたが、現在は鳥居の一部が井戸のふたになっているくらいであり、白倉家はその生活の痕跡すら残っていない。
周知の通り、ひつじ大学の理事長である私は、その池村の白倉家の末裔にあたる。しかし家の古文書によると、私の先祖がそこに住んでいたのは17世紀くらいまでであり、さいごまで多胡碑に残っていたのは遠縁の人たちである。上州八家の後裔を称したかれらは、馬庭念流の宗家と親戚になったりして一時はたいへんな勢力であった。羊太夫などについて特別の言い伝えもあったのだが、それも近代化とともに滅んでしまった。
そして実態がわからないままに、渡来人(新羅)の子孫やら、忍者やら、羊太夫やら、世間からいろいろなことを言われているのだ。
しかし、白倉氏は歴史的経緯に基づいて、これまで一貫して多胡碑を一族のものと主張してきたので、かつての繁栄を知る私には譲れない一線があった。私はかれらの執念を受け継いだ。
堀越さんもそのことはよく理解してくれたが、堀越文右衛門以来、近代日本の誇りを担った家の方であるから、原理主義で時折過激に傾きやすい私とは、考え方に多少の相違があったろう。
若いころ「直系でないのに、どうして今になって白倉家にこだわるのか?」と聞かれたたこともあった。私は譲らず、アイデンティティ政治を展開し続けた。
しかし堀越さんと私は、年齢や立場の違いを超えて、なぜか本当に気が合った。そしてよく遊んだ。本当は、若造を危なっかしく見ていたのかもしれないが、考え方の違いもまた、かえってひつじ大学を多様で豊かな組織にしたのかもしれない。私だけならたぶんうまくいかなかったはずだ。
じつは、博士論文に引用した白倉家から堀越家への土地売買証明書は、これまで内密にされていたのを、堀越さんが特別に私に見せてくれたのだ。不利な証拠なのに...そういう鷹揚なところがあった。
ひつじ大学をつくったときも、堀越さんと私は、この石碑と歴史的に深いつながりのあるたくさんの方々を、ひつじ大学の仲間として招いた。
白倉氏と関係の深い長野氏、小幡氏の後裔をはじめ、羊太夫信仰に関わる宗教者の末裔、公園建設の功労者の子孫、そして村の人々...中世まで遡って仲間を募った。
また、地域の歴史に関心をもつたくさんの方たちが、堀越さんを慕って集まってくれた。
歴史を振り返れば、多胡碑の利権をめぐって対立した人たちや、武器をとって戦った人の子孫までいる。そうした人たちがみな喜んで協力してくれたのも、ついに世界記憶遺産になったのも、みな堀越一郎さんの人徳のおかげだった。
私たちは歴史問題をひとつひとつ解決してきた。
これからもその道を貫いてゆこう。
しかし心のどこかで、堀越さんとともに私のなかの近代が終わった気がする。

【追記】
この写真の自動車について、「明治12年にはまだ日本に自動車がなかったのではないか」というご指摘をいただいた。まさしくおっしゃる通りで、書籍の解説に誤りがあるようだが、私はそれを知っていて、なぜかそのことをずっと忘れていた。堀越さんがお元気のとき、楫取素彦の写真は文右衛門の当選祝いのときではなくて、本当は...というお話をいただいていたのだった。しかし昔のノートを見てもそれがいつだったかわからない。故人を偲びつつ、記憶を辿ってみたいと思う。

ひつじ大学 研究成果報告会

今週の土曜日、ひつじ大学では、ひろく地域住民を対象にして私の2016年度〜2017年度上半期までの研究報告、民俗調査報告、成果報告会をおこないます。

場所、吉井文化会館小ホール(群馬県高崎市吉井町

時間 午後2時より。講演会形式。無料。
タイトルー多胡碑の隠された文字

役員さんは12時半より会議ですので早目にいらしてください。

佐藤

今年度のひつじ大学の予定

ひつじ大学地域文化講演会 年間講座予定

平成29年度の「ひつじ大学地域文化講演会」の予定です。


5月20日(土)
講師  神保侑史 (群馬県埋蔵文化財調査事業団理事 辛科神社宮司
「鏑川流域における古代信仰」

概要: 古墳大国である群馬県において古墳のことは語られても、古墳を作った豪族たちの神々に対する信仰が語られていない。そこで今回は鏑川流域の豪族たちがいかなる神々を信仰したのか、を語りたい。   

6月17日(土)
講師  吉田敬一  (郷土史研究家)
吉井町の先人たち」

概要: 吉井町周辺の地勢と、そこに住み生活した住人の生活、及び、農業を中心にした経営活動を古代より現在まで振り返り、上野三碑の建てられたとする時代の経済的位置づけを考える。
  

7月15日(土)
講師  山本隆志  ( 中世史 日本古文書学会理事 筑波大学名誉教授 )
「鏑川流域の武士と荘園」
          
8月19日(土)
講師  簗瀬大輔  ( 中世史 群馬県立歴史博物館 学芸員 )


9月16日(土)
講師  佐藤喜久一郎( 民俗学 ひつじ大学理事長 )
「2017年 ひつじ大学研究成果報告  ー多胡碑に隠された謎の文字―」
                
10月21日(土)
講師  中島義明  (吉井郷土資料館 学芸員 )
文献史学からみる信平=忠長遺児説について

概要:旧吉井藩吉井陣屋跡に大正6年(1916)に建立された「吉井藩治址碑」に、鷹司松平家吉井藩の藩祖・鷹司(松平)信平の出自に関し、実は「信平は駿河大納言忠長(3代将軍徳川家光の弟)の遺児」とあり、信平=忠長遺児説が一部になされている。この説が文献的にいつ、だれによって唱えられたかを明らかにし、その真偽に迫る。         

11月18日(土)
講師 久保康顕   (宗教史、村落史 山岳修験学会評議員
上野国の山伏〜戦国武士との関係への視点」
                 
12月16日(土)
講師 阿部能久   (中世史 鎌倉国宝館学芸員


H30年2月17日(土)
講師 松田 猛   (古代史、考古学 多胡碑記念館嘱託)
「吉井宿 問屋 秋山家の蚕業学校長」

概要:秋山熊次郎は札幌農学校に学び、卒業後に新進気鋭の農学士として明治時代後期に山梨、福島で教鞭をとり大正時代には宮崎県、秋田県で農業技師として県政の一翼を担った。これまで、まったく知られていなかった秋山熊次郎は倉渕村長を務めた詩人の豊田勇の父であり、その生涯を姑に宛てた書簡や勇の作品、官報などから探る。
           

<お知らせ>

上記の予定表は諸般の事情により内容が変更されることがあります。最新の情報は上毛新聞「ぱれっと欄」(開講日の前日掲載)、又は「ひつじ大学」(変更の場合のみ、開講日の7日前迄に掲載)のホームページをご覧下さい。
*申し込みは不要です。なお、資料代として「300円」を申し受けます。

ツアー一日目


 なごやかな雰囲気でツアー一日目が終わりました。この調子で頑張りましょう。初日の内容は歴史寄りでしたが、来月頭に行われる二回目は民俗学寄りになります。
 今回はたくさんの方々が解説者としてボランティアでご協力してくださり、群馬県人らしいチームワークと義侠心(義を見てせざるは勇なきなり)を感じました。少し気がはやいですが、「世界の記憶」登録後の文化振興も引き続き盛り上げていけたらと思います。

 私も解説の内容をわかりやすくするなど、さらに工夫して参ります。